• 香運アドバイザーかもりちあき

香守千晶

一日5分のお香で心が整うと笑顔になれてプライヴェートも仕事も両方うまくいく♡

お香小説

お香小説

『太子の鎮魂香』(11)

採点されて、返却されて、授業中に見直しもして、家に持って帰ったあとの答案用紙をみんなはどうしているのだろう?ぼんやりと香士の姿を目で追いながら、そんなことを考えた。

 香士は今、先生の教卓のところで、少し前の社会科のテスト用紙を広げて、先生となにか話しこんでいる。その様子を見て、どういう事情がわかるのはクラスできっとこの私だけ。

「聖徳太子(厩戸皇子)が制定した、冠(かんむり)の種類によって朝廷での席次を示す制度は何か?」この問題の回答に、「冠位十二階」と書いてバツをつけられたのが私なら、ほかのクラスメイトたちは、たぶん全員「冠位十一階」と書いてマルになっていた。本当ならみんな2点減点だ。

 でもそれは今さらなんだ。終わったテストは過ぎたこと。過ぎたらまたすぐ次がある。それにそのときマルだったのをわざわざバツにしてもらいに行くなんてもったいないこと、するわけない。

 先生の教卓から香士が後ろに戻ってきた。香士は今どんな気持ちでいるんだろう?表情からは読みとれない。「香士、おはよう、それ前のテスト?」思いきってそう聞いてみた。香士がハッと顔をあげてこちらを向いて目と目が合った。「うん、そう…あ、六香、おはよう」

 香士の席は私の左ナナメ前にある。そこに横向きに座ると香士は手のなかのテスト用紙を開いてみせた。「六香だから話すけどさ」「う、うん」香士の言葉はドキドキする。「ここ、マルだろう?」「そうだね」「でもさ、答えがちがってる。十二だろ?正解は。昨日見直したらさ、見つけて、それで先生に話しに行った」香士が広げたテスト用紙の名前の右の「100」の文字には、青ペンで2本の斜線が引かれていて「98」になっていた。

 バツになりに行ったんだ。黙っていてもよかったのに、そしたら100点のままだったのに…香士は、なんか、やっぱりいい。「香士しかいないね、こんなことした人、なんかエラい」心のこもった声がでた。「ん?まあ、そうかもな。でも僕にとっては大問題、だからさ」だいもんだい…大問題って香士、それどういうこと?

 朝の会の5分前の予鈴が鳴って、香士のとなりにうるさい男子がどかっと座って、私は下を向いてしまった。(つづく)

『太子の鎮魂香』(10)

あの日、冠位十二階の階位の数のことで太子と私は言い争った。さいしょは自分がいいと思う数字を相手に打ち明けてそう思う理由も順に披露しあった。それがだんだん思いがこじれて、次第に「その数字はよろしくない」と相手の数字を攻撃しあった。さらには自分の数字以外は考える余地なしと声を荒げて一歩も譲ることをせず、ついぞ睨み合うかたちとなって、話はもつれにもつれてしまった…

 そこへ馬子がひょっこり顔をだした。さも今ちょうど部屋の前を通りかかっただけと言わんばかりの自然さだった。でも今にしてみれば、それは偶然などではない。おそらく最初のところから馬子は私と太子を覗き見していた。だからああした私と太子の親密な睦み合いもすべて見ていてほくそ笑み、自分はいつ登場してやろうかと楽しみながら自機を待っていたのだろう。そして私たちのけんかを潮に馬子は堂々現れて「十一にしろ」と鶴のひと声。その決定は瞬く間に推古天皇に報告された。さらに馬子は抜け目なく「すべて自分が考えました」とも言い添えた。

 そして603年12月5日の夕刻に「大徳」をトップとして「仁・礼・信・義・智」をそれぞれ大小に分けて十一階とした「冠位十一階」が、朝廷内で発表された。おどろくべきは、馬子がすでに十一階の冠の色まで決めていたことだ。その色は「紫・青・赤・黄・白・黒」の6色で「大徳」一階「紫」で「仁」より下はその色の濃淡で階の大小を区別していた。

 その日、太子と私が話していたのは、まだ階位の数のことだけだった。冠の色のことはまだ手付かずだった。それなのに馬子はわずか3時間足らずのうちに、冠の色まで決めで発令にまでこぎつけた。そこにはいったいどんなカラクリがあったというのか?(つづく)

『太子の鎮魂香』(9)

 学校が3時に終わると私はすぐに教室を出た。教室を出るとき香士の方をチラッとみた。香士は帰りの支度もそこそこに、机の上で社会科の資料集を開いて見ていた。ページは24ページにちがいない。

 香士は自分が目にしたものを信じているんだって思ったら、なんだかうらやましくなった。私は思わず香士に教えてあげたくなった。今この瞬間も「歴史は動いているんだよ」って。でもそんなことをクラスメイトのだれかに聞かれでもしたら白けた目で見られるだろう。ただでさえ変わり者扱いされているのに、ますますおかしなことになる…だから帰ろう。そう決めて、自分を信じて大きく見える香士の背から目をそらした。

「ただいま」。玄関を開けると三和土(たたき)に母の靴。「あっ!」私も靴をそろえて上がると廊下をまっすぐかけぬけた。「お母さん!?」真ん中の部屋では母がソファにもたれかかって目を閉じていた。その顔がいつもの母のままだったのでホッとして、そこからそっと静かに動いてキッチンで母のためにミルクティーを作ってあげた。リプトンの三角パックで濃いめに淹れてりんごの花のハチミツを大さじいっぱい。自分用にはミルクを温めミロを作った。

 コトリ。母の前の小さな机にカップをおくと、母はうっすら目を開けて、私を認めてにっこり笑った。「六香(りっか)…おかえり」「お母さんも、おかえりなさい」「あっ、六香の紅茶」「うん、飲んで」「ありがとう」

 私も自分のカップを取って母といっしょにひと口飲んだ。母とふたりでお茶をしながら、今日学校であったことをポツポツ話した。母は自分のことはなかなか話しだそうとしない。

 私は自分の部屋へ行って一枚の紙を取ってもどって母に「はい」と差しだした。それは3日前に返ってきた社会科のテストの答案用紙。点数は98点。これを見せたら母に私の意思表示になるはずだ。

 母は「すごい!」と目でおどろいて言ってから、一問だけバツだったところを探して見つけたとたんに悲しく泣きそうな顔になった。そしてとても小さな声でポツンと「ごめん」と言って頭を下げた。

 一問だけバツだった回答欄には「冠位十二階」と書いてあってそこにシャッと引かれた赤線。そうなのだ。3日前のこの時にはまだ正解は「冠位十一階」だったんだ。

『太子の鎮魂香』(8)

 3時間目の社会科の授業のときにクラスメイトの男子が「あっ」と声を上げた。「先生!今資料集の漢字が一瞬変わりました!」静かだった教室がたちまちざわつく。

 先生が香士(こうし)の席までどういうことかと見に行った。「ここです、ここの冠位十二階の十二が十一になりました」香士は開いた自分の資料集を先生の方へ差し出した。先生はメガネをおでこに持ち上げて「う〜ん」と言われたページをじっと見た。

「香士、先生には十二に見えるぞ」「えーっ!」情けなく香士が叫ぶと他のクラスメイトたちもガサゴソと自分の資料集を机のなかから取りだしはじめた。授業では資料集はふだんはほとんど使わない。香士、何ページ?えっと24ページ。

 それを聞いてクラス中の机の上では資料集の24ページが開かれた。もちろん私も慌てて開いた。24ページは飛鳥時代の仏教の伝来から大化の改新までのことが書かれている。いちばん大きく書かれているのは聖徳太子の2つの政治の政策のこと。冠位十二階と十七条の憲法だ。その冠位十二階の「十二」の漢字が「十一」になった香士は言ったのだ。

 でも今は十二は十二となっている。何度もじっと見たけど数字はそのままだ。「なんだよ香士十二じゃん!」「も〜香士人さわがせ!」クラスメイトが不満の声を上げたり笑ったりしているなかで、私ひとりひどく心がざわついて不安な気持ちになってきた。

「香士、眠気は冷めたか?」先生が資料集を返しながら香士の頭をポンと打つ。「でも先生十三のときもあったんです!十二が十一になってまた十二にもどって、次は十三、また十一!!」クラス中が慌てる香士の必死な姿にどっと沸く。

「香士わかった」先生は大きくひとつ頷いて「たしかにな十一や十三になっていたかもしれないぞ。階の位が十二の数字に決まるまで何度も何度も話し合いがあっただろう…」先生が香士をフォローする声が急に遠くになった気がした。

 冠位十二階の数字の先には母がいる。その母の身に今何かが起きている。今回は自信たっぷりに出かけて行ったはずなのに、トラブルが起きてしまったのかもしれない

『太子の鎮魂香』(7)

 上宮太子は殺された。妻と同じ毒に当たって死んだ。2ヶ月前に亡くなった太子の母も同じ毒に当たってやられた。そういえば太子の母の死の床もほのかに良い香りがしていたそうだ。それならやはり毒殺だ。

 だれのしわざか?上宮太子はだれかの恨みをかっていたのか?妻と母は巻き添えか?いや自死ということもある。603年のあのことがあってすべてが変わってしまった。馬子さまどころか推古天皇までもが太子に手のひらを返したように振る舞った。さすがのお人もあれでは参ってしまっただろう。神経をやらえて心をダメにした上宮太子は朝廷内で居場所がないも同然だった…上宮太子くらいのお人だ、毒を手に入れることもおそらく容易いはずだった。

 うわさで聞いたがどこかの娘が太子の住まいにたびたび通っていたらしい。いつも夜で昼間に姿を見たものはない。別荘の葦墻宮(あしがきのみや)の方なら田舎でひと目につかない、だから怪しまれることがない。その娘は今どこにいる?あれきり姿を見せていない。彼女はあやしい。彼女はだれかに命ぜられ太子らを毒殺した女刺客であるかもしれない。

 キヨが私に話してくれた、宮中を駆けめぐったあらぬうわさは、的を得たものだった。そういうことがあって上宮太子の死が11年も早まった。太子はもっと長生きをした、こんなことがなければ622年の2月が太子の命日になる。

 太子の香る死の床(とこ)は、おそらくあの薬のためだ。香りの司の一族の末裔だというあの娘。でも彼女はどうして太子の死期をこれほど早めてしまったのか?いや、彼女ではない、すべては私の8年前のあの過ちからはじまったこと…

 古代飛鳥に来て9年目、私の成果はしくじり2つ。そろそろ潮時かいったん現代令和に帰って策を一から練り直さなくては。

『太子の鎮魂香』(6)

 都から追われたキヨが伝えた話は上宮太子の死の知らせだった。つい先日息を引きとったばかりという。私が馬子に飛鳥の都を追われて8年、そのあいだ、太子は病に臥せって、奈良の斑鳩の別荘で妻とふたりきりで暮らしていたそうだ。宮中から見舞う者はほとんどおらず、推古天皇も馬子も太子に少しも手厚くなかったという。

 そして今年611年の元日に太子はひっそり亡くなった。そばで妻も息絶えていた。ふたりは同じ日になくなったのか?それはだれにもわからない。ただふたりの死の床(とこ)からは同じ香りがしたという。斑鳩宮を訪れて、倒れたふたりの姿を初めて見つけた者は、寝屋(ねや)の入り口あたりから絵も言われない芳香が流れてくるのにすぐに気ついた。それはこれまでに嗅いだことがないような良い香りで、その香りのなかで太子と妻は仰向いて並んで横になっていた。ふたりのお顔はおだやかで頬にはうっすら赤みがさしていたという。

 すぐに次々都から太子と妻を見ようと人が集まりだした。そしてふたりの死の床に漂う香りに陶然とした。キヨも混じってそのなかにいた。そのとき嗅いだ香りをキヨは鮮烈に記憶していた。そして今日ここで同じ香りと出合った。キヨは香りはもとより生前太子の妻によくしてもらった思いが溢れ、涙が迫り上げ自分でもどうにもできなかった。キヨはこんなことも言っていた。太子と妻の死後、実しやかにさまざまな憶測、思索が飛び交って、ついには宮中を、あらぬうわさが駆けめぐり、今も人々を恐れ慄かせているという。

『太子の鎮魂香』(5)

 肩をふるわせキヨは激しく泣いている。なんと声を掛けていいかわからない。「キヨ?」声を掛けてもキヨは両手に顔をうずめて小さく首を振るばかり。しばらくそっとしておこう。何か大きな悲しみがキヨのなかにもあるのだろう。

 辺りにただよう香りがますます濃くなった。香りは炉の火のなかから流れてくる。さきほど薪の代わりに炉に焚(く)べた木片が強く甘く言いしれない芳香を放っている。目を閉じて静かに香りを聴いてみる。記憶にない香りであるのにどこかしら懐かしさもある。この香りを私は知っている気がする。でもどこでだったか?はるか遠い昔とぶつかる記憶の香り…

 泣くキヨの体のふるえが小さくなった。軽くキヨの肩に触れ、顔を拭くようお湯でしぼった布地をわたすとキヨはぺこんと頭を下げた。「ありがとうございます」しゃくりあげながら温かな布を受けとると両の目元をきゅっと押さえた。フウッとひとつ息を吹きだしキヨは私の方を見た。顔には笑顔がもどっている。キヨは目元を拭った布をていねいに折りたたみながら「同じ香りです」と言った。「この香り…あのときと同じです」キヨもこの香りのことを言っているのだ。ただごとならないこの香り。それがもとでキヨはあれほど大泣きしたのか?

「この木は…」火箸で香る木片を挟んで火から遠ざけた。「ただの木ではない?」火からだしても木片はじんわり香りを放っている。「燃やしていけないものだった?」キヨはしばらく何も言わなかったが、灰におかれた木片に近づきじっと香りを嗅ぐと「お話ししますね」と切りだした。

『太子の鎮魂香』(4)

 にわか雨はいつしか冷たいみぞれの本降りとなった。寒い。今、炉にくべたのがこの家さいごの薪だった。この春は、4月の末にはもう温かで、薪のたくわえが底を尽きそうなのを放っておいてしまった。ここへ来たとき薄着のキヨも、寒さでぶるぶる震えている。「キヨ、これを着て」羽織りを奥から出してきてキヨの背中に着せ掛ける。「ありがとうございます」キヨは羽織の袖に両手を通し襟をかき合わせると温かそうにした。その姿を見てホッとする。でも冷たいこの雨はまだしばらく止みそうもない。炉の火が消えたら凍える晩となるだろう。

 小野氏(おのうじ)に頼んでみようか。ここから少し坂を上がれば小野氏の家がある。そこまで行って頼んで薪をわけてもらおう。「キヨ、私は知り合いのところで薪を分けてもらって来ます。あなたは炉の湯で茶を淹れて温かくして待っていて」そのとき外でドーンと大きな音がした。かみなりだ。雨がいっそう激しくなる。身じたくをする手が止まった。出足が鈍る。

「この中を行かれるのは危険です。今しばらく落ちつくのを待ちましょう。そのとき私もいっしょに参ります」そう言ってキヨが熱い茶を差しだした。茶碗の温かさに気持ちがゆるんでフと先ほど家に持ち込んだ紺のヒモの編みカゴに目が行った。そうだ、あの木片が薪に使える。もしかすると小野氏が置いていったものかもしれない。こうなる天気を察知してひっそり届けてくれたのだろう。和珥氏(わにうじ)の枝氏であるのに強ぶるところがまるでない控えめなあの人のやり方らしい。

 ありがたく木片をカゴから3つ取りだして炉で赤く燃える炭のそばに置く。キヨもそれをじっと見ている。しばらくすると何やら香りがしはじめた。これまでいちども嗅いだことがない、不思議な匂い…そのときキヨが突然ワッと泣きだした。

『太子の鎮魂香』(3)

 戸を叩く音は2度してすぐ止んだ。となりからその音におどろき身を固くする怯えたキヨの気配が伝わる。そんなキヨに向かってきゅっと口元だけで笑ってみせて、私は立って行ってそっと木戸を横に引いた。

 開けたらだれもいなかった。いつもの沢の音がサラサラしているだけだ。左右を見ても動くものは何もない。ホッとして強(こわ)ばる体の力が抜けた。でもあれはたしかにノックの音だった。自然が立てた音ではない。

 この小屋は比叡の麓(ふもと)のなだらかな坂のとちゅうに建っている。家の脇には、8年前に初めてここへ迷いこみ歩きつかれた足をひたした沢がある。今またその沢の音に落ちついた。

 5月の18時の辺りは未だうっすら明るい。私はいちど天を仰いでキヨが待つ家のなかにもどろうとした。すると何かに目が留まった。戸口のそばの若木にヒモが垂れていた。下にたどるとそのヒモの先で何かが揺れていた。近づいてよく見るとそれは小さな編みカゴだった。手に取らないまま中をのそいた。中には親指ほどの大きさをした木のかけらが4、5片入っているのが見えた。

「何ごとがありましたか?」その声にハッと顔をあげると、キヨが戸口のそばに来ていた。思いやるような眼差しで心配そうに私を見ている。「キヨ…」ホッとして思わず自然と名前を呼んだ。「はい」キヨもホッと笑って見せた。「どなたも居られませんね。音は人ではなかったのですね」「ええ。でもねこれが枝に…。キヨ、あなたがここへ来たときにこのカゴに気がついたかしら?」キヨも若木に垂れた紐とカゴを順に見た。「いいえ。もしこのようでしたらすぐに気がついたはずですから」「そう…」それではやはり2度戸を叩いたて去った者が吊るして置いて行ったのだ。

 そのときパラパラとにわか雨が降りだした。「入りましょう」そうキヨに言ってうながすと、紺のヒモを木から外してカゴといっしょに私も家のなかにもどった。

『太子の鎮魂香』(2)

「推古天皇5月5日の薬狩り」この日のことは何度も母から聞いている。雅(みやび)で華麗な宮中行事で、老若男女だれもがその日を待ち侘びたという。朝廷のピクニックといった風で、みんないっしょに初夏の野にでて、薬の材料を集めて回る。男の人は鹿追いをして角を取り、女の人は薬草をカゴいっぱいに摘むという。

 でも、611年のこのとき母は都を追放されていた。だから本当は何も知らないはずだった。その母に薬狩りのことを話して聞かせた人がいた。それが女(むすめ)のキヨだった。キヨは若く美しい娘で、母と同じようにして馬子に都を追われてここまで逃げてきた。来たとき「馬子さまに…」とポツリと言って、そこで止まってしまったそうだ。

 母はキヨの肩にそっと触れ、温かいお茶を淹れてもち菓子を用意した。お茶をひと口飲むとキヨはポトリと涙をこぼした。それから口数少なに馬子のことを語りはじめた。キヨは母が都を追放されたその日に馬子に見留められた。「私とは入れちがいだったのね」母が言うと、キヨは「はい」と、うなずいた。「あなたさまのことは宮中でうわさになっておりました。そのことで馬子さまと推古さまは口争いをされておられました」「…」

 上宮太子の名はキヨの口に上らなかった。あれからあのあとどうなったのか?キヨが話しつづけている。「そこで馬子さまが私の色の才を買ってくださいました」色の才?聞きなれない言葉だった。「色の才というのは?」キヨに尋ねるた。すると「はい。カラーセラピストです」と言う。キヨの答えは気持ちがいい。どんなことを尋ねても答えの始めに「はい」と言う。でも、からーせらぴすと?何かが心に引っかかる。「からーせらぴすと?」「はい。色の知識に詳しいことです」「それは」母がさらにそれ以上キヨに質問しようとしたとき入口の戸を外から叩く音がした。

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「推古天皇5月5日の薬狩り」この日のことは何度も母から聞いている。雅(みやび)で華麗な宮中行事で、老若男女だれもがその日を待ち侘びたという。朝廷のピクニックといった風で、みんないっしょに初夏の野にでて、薬の材料を集めて回る。男の人は鹿追いをして角を取り、女の人は薬草をカゴいっぱいに摘むという。

 でも、611年のこのとき母は都を追放されていた。だから本当は何も知らないはずだった。その母に薬狩りのことを話して聞かせた人がいた。それが女(むすめ)のキヨだった。キヨは若く美しい娘で、母と同じようにして馬子に都を追われてここまで逃げてきた。来たとき「馬子さまに…」とポツリと言って、そこで止まってしまったそうだ。

 母はキヨの肩にそっと触れ、温かいお茶を淹れてもち菓子を用意した。お茶をひと口飲むとキヨはポトリと涙をこぼした。それから口数少なに馬子のことを語りはじめた。

 キヨは母が都を追放されたその日に馬子に見留められた。「私とは入れちがいだったのね」母が言うと、キヨは「はい」と、うなずいた。「あなたさまのことは宮中でうわさになっておりました。そのことで馬子さまと推古さまは口争いをされておられました」「…」

 上宮太子の名はキヨの口に上らなかった。あれからあのあとどうなったのか?キヨが話しつづけている。「そこで馬子さまが私の色の才を買ってくださいました」色の才?聞きなれない言葉だった。「色の才というのは?」キヨに尋ねるた。すると「はい。カラーセラピストです」と言う。キヨの答えは気持ちがいい。どんなことを尋ねても答えの始めに「はい」と言う。でも、からーせらぴすと?何かが心に引っかかる。「からーせらぴすと?」「はい。色の知識に詳しいことです」「それは」母がさらにそれ以上キヨに質問しようとしたとき入口の戸を外から叩く音がした。

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出典:お香で香運ハピネスチャンネル

 

『太子の鎮魂香-お香がつなぐ1500年の恋』(1)

 今から1423年前の12月5日、私の母と聖徳太子は冠位十二階の数字のことでケンカになった。冠位の数を太子は「十三」にしようと言って、母は「十二」がいいと反対して互いに一歩も譲らなかった。そのときそこを蘇我馬子が通りかかった。そして何も知らないくせに冠位を「十一」に決めてしまった。

 太子と母が口を挟む余地はなかった。なぜなら当時は蘇我馬子の圧政で、上宮太子(じょうぐうたいし)はお飾り同然。ときの推古天皇の甥で摂政とは名ばかりで、政治のことは隅から隅まで馬子の思いのままだったから。

 その日の午後に「冠位十一階」が発表された。それで日本の歴史はずいぶん変わってしまった。明日香の朝廷はなんとかしばらく保(も)っていたけど8年するとほころびがでた。でもそのときとっくに馬子に追放されていた母は太子とも離れ離れになってしまった。都を追われ、遠い近江国のみずうみのそばで暮らす母のことを太子はいちども訪ねなかった。

 そのまま月日は流れに流れた。そしてついにあの日が来た。母と太子の甘い再会。611年推古天皇5月5日の運命の薬狩りの日のことだ。

 

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